林芙美子さんは、故郷というものを一度も持たなかった人です。行商人の家に生まれ、幼い頃から親と各地の安宿を転々とし、上京してからも事務員、女工、カフェの女給と職を変えながら、食いつなぐように生きました。
そのあいだ書きためた日記が、1930年に『放浪記』として世に出ると、当時としては異例のベストセラーになり、彼女は一躍、流行作家になります。今日はこの『放浪記』を入り口に、貧しさと放浪のなかでも失われなかった、生きる力について考えてみます。
林芙美子さんという人
父は四国出身の太物(呉服)の行商人、母は九州・桜島の温泉宿の娘でした。定まった土地を持たない家に生まれた林さんは、少女時代を木賃宿暮らしで過ごします。
『放浪記』の冒頭で、彼女は自分の生い立ちをこう言い切っています。
私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。
青空文庫『放浪記』「宿命的に」という強い言葉に、負い目ではなく、むしろ腹の据わったものを感じます。持たないことを嘆くのではなく、それが自分なのだと引き受けている。
実家や地元があることを前提に人生が語られがちな今、故郷を持たないと言い切れる人は多くありません。けれど場所に縛られない身軽さは、裏を返せば強さでもある。林さんはその身軽さを武器に、各地を見て、書く人になりました。
『放浪記』という本
『放浪記』は、林さんが実際につけていた日記をもとにした、自伝的な日記体の小説です。定住する家を持たず各地を転々とした貧しい少女時代から、上京後に職を転々とする窮乏生活までを、赤裸々に綴っています。
大正末から昭和初期という時代を、貧困の当事者の目線で生々しく描いた点が大きな話題となり、1930年の刊行時に異例のベストセラーになりました。
腹がへっても、ひもじゅうないとかぶりを振っている時ではないのだ。明日から、今から飢えて行く私達なのである。
青空文庫『放浪記』空腹を「ひもじくない」と強がっている場合ではない、これから本当に飢えていくのだ——ぎりぎりの現実を、林さんは飾らずに書きます。
読んでいて苦しいのに、なぜか湿っぽくない。悲劇として書くのではなく、事実として淡々と置いていくからです。食べるものにも困る状況を、自己憐憫なしに見つめる目の強さに、この人の芯を感じます。
明日は明日の風が吹く
明日は明日の風が吹くだろう。
青空文庫『放浪記』あまりに有名なこの一行も、『放浪記』のなかの言葉です。先の保証が何もない暮らしのなかで、それでも前を向くための、林さん自身への言い聞かせのように読めます。
将来に備え、リスクを減らし、計画通りに生きることが賢いとされる時代に、この開き直りはまぶしい。備えは大事だけれど、備えきれないことのほうが人生には多い。そういう時にこの一行を思い出せるかどうかで、ずいぶん気持ちが軽くなる気がします。
私の体はいびつ、私のこころもいびつなり。
青空文庫『放浪記』自分の体も心も「いびつ」だと、林さんは書きます。整っていない、まっすぐでない自分を、隠さずそのまま差し出す。
きれいに整えた自分ばかりを見せがちな今の感覚とは、正反対です。けれど、いびつさをそのまま書けたからこそ、『放浪記』は多くの人の胸を打ちました。取り繕わない正直さが、時代を超えて残る文章になる。ものを選ぶときも、結局は同じで、背伸びのない正直な選択ほど長く手元に残る気がします。
故郷を持たず、貧しさの底を這うように生きた人が、その日々を隠さず書いた。それが百年近く読み継がれている。林芙美子さんが教えてくれるのは、恵まれた環境や整った条件ではなく、どんな場所でも生きていく力と、自分を飾らない正直さの強さです。
持ち物が少なくても、うまくいかなくても、明日は明日の風が吹く。そう思える人は、きっと何を選んでも、どこにいても、自分なりに豊かに生きていける。

次回は、現代の読書論として話題になった三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を取り上げます。
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