石井好子さんは、パリでシャンソンを歌った歌手であり、食エッセイの名手でもありました。その代表作『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』は、1963年に世に出て以来、40年以上一度も絶版にならずに読み継がれています。
今日はこの一冊を入り口に、食べること、そして自分の「定番」を持つということについて考えてみます。
石井好子さんという人
石井好子さんは1922年、東京の生まれです。父は衆議院議長を務めた政治家・石井光次郎。東京音楽学校(いまの東京藝術大学)でドイツ歌曲を学び、戦後の1945年にはジャズ歌手としてデビューします。
転機は1950年、単身で渡ったサンフランシスコでした。滞在中に、あの黒真珠と呼ばれた歌手ジョセフィン・ベーカーから「シャンソンを勉強するならパリへ」と勧められ、1952年に渡仏。パリの高級クラブのオーディションに合格して、シャンソン歌手としての道が開けます。
帰国後は日本のシャンソン界を切りひらいた第一人者になりました。岸洋子や加藤登紀子を育て、夏の風物詩「パリ祭」を主催し、1988年には日本人で初めてパリのオランピア劇場の舞台に立ちます。1992年にはフランス芸術文化勲章も受けました。歌いながら書き続けた食エッセイもまた、多くの読者を惹きつけたのです。
『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』という本
この本は、1950年代のパリでの楽屋暮らしのなかで、石井さんが出会った料理と暮らしを綴った随筆集です。下宿のマダムが作るバターたっぷりのオムレツ、寒い夜に食べたグラティネ、盛り場の屋台で売られていたポムフリット。ひとつひとつの食べものが、パリの空気ごと、軽やかな筆で描かれます。
1963年の刊行時には日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、以来ずっと版を重ねてきました。派手な名店案内ではなく、日々の小さな食卓を書いたものが、これほど長く愛されている。それ自体が、この本の底力を物語っている気がします。
「今夜はオムレツよ」とボウルのなかの卵をかきまぜながらマダム。
石井好子『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』下宿のマダムが、卵をかきまぜながら言うひと言。ただそれだけの場面から、この本は始まります。豪華な献立ではなく、ありふれたオムレツです。
「今夜は○○」と、作るものを先に声に出して決める。たったそれだけのことで、一日の終わりに小さな輪郭が生まれます。選択肢をいくつも並べて迷うより、「これがわが家の定番」と言える一皿を持っている。そういう暮らしのほうが、じつは豊かなのだろうと思います。
名もない一皿を、見逃さない
面白いのは、石井さんの目が、高級店にも屋台にも同じ熱量で注がれていることです。パリの盛り場で売られていた一皿のフライドポテトを、彼女はごちそうのように書きます。一人で鶏料理を頬張るでっぷりとしたおじさんの食べっぷりまで、うれしそうに描くのです。
「ちゃんとしたもの」は、値段や格式ではなく、作り手の手つきのなかにある。彼女の食エッセイを読んでいると、そう思えてきます。名もない一皿を見逃さない目こそ、いちばんの目利きなのかもしれません。半世紀読み継がれてきた理由も、たぶんそこにあります。

次回は、戦後の女性たちに美しく暮らす楽しさを説いた、伝説の編集者・中原淳一さんを取り上げます。

