終戦からちょうど一年後の1946年8月15日、まだ焼け跡の残る東京で、中原淳一さんは一冊の女性誌『それいゆ』を売り出しました。その表紙は、当時ほとんど誰も使わなかった、まっ赤な一色だったといいます。
今日はその中原淳一さんを入り口に、お金や物がなくても美しく暮らす、ということについて考えてみます。
中原淳一さんという人
中原淳一さんは1913年、香川県の生まれです。18歳のときに開いたフランス人形の個展がきっかけで、少女雑誌『少女の友』の専属画家に抜擢され、目の大きい西洋的な少女像で一世を風靡しました。1937年、川端康成の『乙女の港』の挿絵は大ブームになります。
ところが戦時中、その華やかで西洋的な画風が軍部に問題視され、彼は誌面を追われてしまいます。それでも筆を折らず、自費でスタイルブックを作り、出征先の船の上でさえ兵士の似顔絵を描き続けました。東京の店は空襲で焼けました。
そして終戦の一年後、焼け跡から立ち上げたのが『それいゆ』でした。彼がそこで説いたのは、贅沢ではありません。破れたブラウスに花の形の継ぎを当てる、空き瓶に色紙を貼る、道端の花を摘んで食卓に飾る。ものやお金がなくても綺麗に暮らせる、という知恵でした。心臓を病んで生涯に七度も倒れながら、療養先の館山では漁師の妻たちの髪を結い、「塩見のキリスト」と呼ばれたそうです。
『花のある美しい暮らし』という本
この本は、中原淳一さんが『それいゆ』などの誌面に載せてきた「花のある暮らし」の提案を、一冊にまとめたものです。豪華な花束の話ではありません。
五月の水に花を一輪浮かべる、道端で摘んだ花を食卓に飾る。お金をかけずに、目の前の暮らしを美しくする工夫が、彼自身の描いた優しい絵とともに並びます。花を通して心を豊かにする、という彼の思想が、そのまま形になった本です。
私たちは美しいものや人のことを「花のように美しい」とか、「人生の花」などと言います。(中略)花の裏も表もない純粋な美しさを考えてみれば、本当にぴったりな形容だと思います。
中原淳一『中原淳一の花のある美しい暮らし』(『ジュニアそれいゆ』より)花には、裏も表もない。飾りも肩書きもなく、ただ美しい。中原淳一さんは、そこにいちばん純粋な美しさを見ていました。
ものを選ぶときも、じつは同じだと思うのです。ブランドの名前や値段という「表」ではなく、その形や手ざわりそのものが美しいかどうか。花を見るような目で選んだものは、たぶん長く飽きずに付き合えます。
美しくて、かしこくて、優しくて、ものを考えることの出来る女性であってほしいと思って、『それいゆ』は生まれた。
中原淳一(『それいゆ』創刊に寄せて)ここで中原淳一さんが「美しい」で止めず、「ものを考えることの出来る」と続けているのが、僕はいいなと思います。ただ見た目が整っているだけでは、足りない、と。
今の暮らしの美意識も、たぶん同じです。「かわいい」「映える」で思考を止めるのではなく、なぜ自分はこれを選ぶのか、を一度考えてみる。美しさと、考えること。その両方を求めた人だからこそ、七十年たっても言葉が古びないのだと思います。
お金がなくても、美しく
焼け跡で中原淳一さんが伝えたのは、高いものを買いなさい、ということではありませんでした。継ぎを花の形にする、空き瓶に色紙を貼る。今あるものを、どう美しく扱うか。その工夫のなかにこそ、暮らしの美意識がある、という考え方です。
豊かさは、財布の中身だけで決まるのではない。目の前のものを美しく見立てる目さえあれば、暮らしはいくらでも豊かになる。中原淳一さんの一冊は、いちばん苦しい時代に、そのことを証明してみせた本なのだと思います。

次回は、日本中の職人を訪ね歩いた白洲正子さんの『日本のたくみ』を取り上げます。

