宇野千代さんは、98歳で亡くなる直前まで小説を書き続けた作家です。四度の結婚と同棲、事業の破産、大きな病。波乱ばかりの人生を、彼女はいつも前を向いて生き切りました。
今日はその宇野千代さんの自伝『生きて行く私』を入り口に、迷いなく選び、迷いなく生きるということについて考えてみます。
宇野千代さんという人
宇野千代さんは1897年、山口県岩国の造り酒屋に生まれました。13歳で最初の結婚をし、その後は小学校の代用教員、ホテルの給仕、仕立屋を転々としながら、小説を書き続けます。懸賞小説に入選したとき、次席だったのが、のちに夫となる尾崎士郎でした。
その尾崎士郎と結婚し、別れ、画家の東郷青児と暮らし、作家の北原武夫と再婚する。恋愛遍歴の多さでも知られた人です。1936年には日本で初めてのファッション誌『スタイル』を創刊しました。表紙絵は藤田嗣治、題字は東郷青児という顔ぶれです。
1949年には「宇野千代きもの研究所」を立ち上げ、「宇野千代小紋」は百貨店に並ぶ人気になりました。作家であり、編集者であり、デザイナーでもある。1990年には文化功労者に選ばれ、98歳で亡くなるまで現役で書き続けた、まさに「行動する人」でした。
『生きて行く私』という本
この本は、宇野千代さんが85歳のときに書いた自伝です。岩国の少女時代から、いくつもの恋、『スタイル』の創刊、きものの仕事まで、自分の来し方を率直に振り返っています。
面白いのは、過去を美化しないところです。うまくいかなかったことも、別れも、淡々と語る。だからこそ読後に、湿っぽさではなく、からっとした潔さが残ります。1983年の刊行時には100万部を超えて読まれました。
私は自分でも意識せずに、自分の生きたいと思うように生きて来た
宇野千代『生きて行く私』(中公文庫 紹介文)あとから理屈をつけたのではなく、その時々の「こう生きたい」に素直に従っただけ。四度の結婚も、事業も、宇野千代さんの選択はいつもそういうものでした。
僕たちは何かを選ぶとき、つい「正解はどれか」を探します。でも彼女の生き方は、正解を当てにいくのではなく、今の自分が本当に惹かれるものを選ぶ、というものでした。器一つ、本一冊でも、そうやって選んだものは、たぶん長く手元に残ります。
人生は凡てのことにのぼせなければならない。のぼせていると何事をするのにも、することに勢いがつく
宇野千代『行動することが生きることである』(集英社文庫 紹介文)「のぼせる」、つまり夢中になること。宇野千代さんは、それを恥ずかしいこととは考えませんでした。夢中になっているときほど、やることに勢いがつくのだ、と言います。
冷静に損得を計算して選んだものより、「これがいい」と一目で夢中になったもののほうが、使っていて気持ちがいい。そういう経験は、僕にも覚えがあります。選ぶときに少し「のぼせて」みてもいい、と彼女は言っている気がします。
選ぶ、ということ
失敗やバカなことはしたくない、そんな吝嗇な心は、人生の大きな得をとり逃します
宇野千代『幸福は幸福を呼ぶ』(集英社文庫 紹介文)失敗したくない、恥をかきたくない。その用心深さ自体が、いちばん大きな得をとり逃す、と宇野千代さんは言います。吝嗇(りんしょく)とは、けちのことです。
新しい店、知らない作り手のもの。手を出すのをためらう気持ちは僕にもあります。でも、たまには当てが外れることも込みで選んでみる。そのくらいの身軽さが、結局はいい出会いを連れてくるのかもしれません。98歳まで前を向き続けた人の言葉には、その説得力があります。

次回は、パリでシャンソンを歌い、台所の匂いを書き続けた石井好子さんの『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』を取り上げます。

