武田百合子『富士日記』-天気と買い物だけでよかった十三年

日記をつけろと言われて、何を書けばいいのか分からなくなったことがある人は多いと思う。武田百合子という人は、夫にそう言われて日記を書き始めた。文章の勉強をした人ではない。それなのに、その日記は後に文学として読まれることになった。

武田百合子という人

1925年、神奈川生まれ。1951年に小説家・武田泰淳と結婚した。泰淳は僧籍を持つ戦後派の作家で、文壇の中心に近いところにいた人だった。百合子自身は書き手ではなく、夫の口述筆記をしたり身の回りの世話をしたりする生活を送っていた。1964年の夏、夫婦は富士山麓・鳴沢村に山荘を建て、娘の花と犬のポコを連れて夏をそこで過ごすようになる。この山荘暮らしを、泰淳に勧められて百合子が日記につけ始めた。それが十三年続き、のちに『富士日記』としてまとめられ、1976年に田村俊子賞を受けた。泰淳の死後、百合子は随筆家として本格的に書き始め、『犬が星見た』などの旅行記も残している。1993年没。

『富士日記』はどんな本か

中身は素っ気ない。その日に買ったもの、食べたもの、天気、山荘に来た人の名前。小説のような構成も、感傷的な独白もほとんどない。それでいて読み進めるうちに、この家族の暮らしの手触りがそのまま伝わってくる。うまく書こうとしていないからだと思う。それは、夫の泰淳が最初からそう仕込んだからだった。

どんな風につけてもいい。何も書くことがなかったら、その日に買ったものと天気だけでもいい。面白かったことやしたことがあったら書けばいい。日記の中で述懐や反省はしなくてもいい。反省の似合わない女なんだから。反省するときゃ、必ずずるいことを考えているんだからな。

『富士日記』(夫・武田泰淳の言葉)

泰淳がここで言っているのは、文章の技術の話ではない。書く前に自分を検閲するな、ということだと僕は思う。反省や述懐は、後から自分をよく見せるために付け足す言葉になりやすい。それを最初から要らないと言い切ってしまえば、残るのは今日起きたことだけになる。 これは日記に限った話ではない。仕事の報告でも、人に近況を話すときでも、つい「意味づけ」を先に置きたくなる。今日は何を学んだか、何が良かったか。そういう反省の型を外して、買ったものと天気だけを書いていいと言われたら、最初は戸惑うはずだ。百合子はその戸惑いを抱えたまま十三年書き続け、結果としてどんな上手な感想文よりも生々しい記録を残した。飾らないことは何もしないことではなく、ひとつの態度なのだと分かる。

富士山の見えるところに美人はいない

『富士日記』

これは百合子自身の感想ではなく、山荘に出入りする知り合いが言った言葉を、そのまま書き留めたものだ。日照や湿度の話として本人は真面目に言っているのだが、百合子はそれを笑うでも否定するでもなく、ただ聞こえたとおりに置く。この距離の取り方が『富士日記』の芯だと思う。 人の話を聞くとき、僕らはすぐに自分の意見を差し挟みたくなる。同意するか、反論するか、面白がってみせるか。百合子はそのどれもしないで、耳に入った言葉をそのままの形で残す。それができるのは、相手を見下してもいないし、持ち上げてもいないからだ。生活の中で人の言葉を丸ごと受け止める力は、審美眼とは別の、もっと地味で重い技術なのだと、この一行から気づかされる。

おいしいものは、ぜんぶ、毒なのかなあ。でも、おいしいってしあわせだよな。

『富士日記』下巻

下巻、山荘での暮らしも後半に差しかかったころの一節だ。おいしいものが体に毒かもしれないという疑いと、それでも幸せだという実感が、同じ一文の中で解決されずに並んでいる。どちらかに軍配を上げて締めくくることを、百合子はしない。 年を重ねると、食べることひとつにも損得の勘定がついて回るようになる。体にいいか悪いか、続けていい習慣かどうか。百合子の一文は、その勘定の手前で止まっている。毒かもしれないと思いながら、それでも幸せだと言い切る。矛盾を矛盾のまま抱えて生きるための、いちばん短い言い方を見た気がする。

武田百合子『富士日記』(中央公論新社(中公文庫))
武田百合子『富士日記』(中央公論新社(中公文庫)) 書影
夫にすすめられるまま書き始めた、富士山麓の山荘での十三年間の日記。
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書き留めることは、生きることそのものだった

反省を書かない。人の言葉をそのまま置く。矛盾を矛盾のまま書く。『富士日記』に共通しているのは、出来事を後から整えないという一貫した態度だ。泰淳が病を得て、山荘での夏がやがて終わりに近づいていくことを、百合子はこの日記を書いている時点ではまだ知らない。知らないまま、その日に買ったものと天気を書き続けた。整えずに残されたものだけが、後になって初めて重みを持つことがある。日記というもっとも個人的な記録が、飾らなかったことによって多くの読者に長く読まれ続けているのは、そのためだと思う。

次回は森茉莉の『贅沢貧乏』を取り上げる。森鴎外の娘として育ち、狭い部屋の暮らしを自分の好みだけで満たし切った人の随筆だ。

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