売り場で、いつも同じ棚の前で足が止まる
食器屋で二つのマグの前から動けなくなることがある。値段もほとんど同じ、大きさも使い勝手も大差ない。それでも決められない。決め手がないというより、自分がどちらを本当に好きなのか分かっていない。だから店員さんの視線が気になり出したころに、結局「まあ、こっちでいいか」と手に取る。
この本を読み返すたび、あの迷いの正体が見えてくる。松浦弥太郎の『日々の100』は、選ぶ基準を持っている人の頭の中を、103回ぶんのぞかせてくれる本だ。何を好きで、何を残すか。その一つずつの判断が、そのまま暮らしの手触りをつくっているのだと分かる。
松浦弥太郎という人——「暮しの手帖」とCOW BOOKS
松浦弥太郎は、18歳で渡米し、20年余りをアメリカで過ごした人だ。帰国後、中目黒に古書店COW BOOKSを開く。トラックに本を積んで走る移動書店から始めた店で、自分が選んだ本しか置かない。仕入れが編集で、棚が主張になる——そういう店のつくり方をした人だと言えばいい。
2000年代半ばから約10年、「暮しの手帖」の編集長を務めた。広告を載せない、商品を実際に使い倒してから記事にする。戦後から続くこの雑誌の流儀を受け継いだ編集者だ。「ていねいな暮らし」という言葉が独り歩きするずっと前から、彼はものと時間の使い方を書いてきた。
そういう人が、自分の手元に残ったものを100だけ選ぶ。作るのではなく、すでに世界にあるものの中から名指しする。それがこの一冊の成り立ちだ。
『日々の100』はどんな本か
構成はどこまでも淡々としている。1点につき2ページ。右ページに写真、左ページに600字ほどの短い随筆。写真も文章も、松浦さん自身の手による。レシピカードボックス、ヒノキの椀と匙、財布、クッキーの缶、アンティークの定規。食器から文房具、服、愛読書まで、ジャンルはばらばらだ。
単行本の100編に、文庫版では書き下ろし3編が加わって103。派手な仕掛けは何もない。ものの写真と、そのものを巡る小さな話。それだけが最後のページまで同じレイアウトで続く。
それでも読み終えると、103個のものの向こうに一人の人間の輪郭が立ち上がる。何を選び、何を手放さなかったか。持ちものは、その人の考え方の標本なのだと、この本は教える。

「何でもいい」から「これがいい」へ
若いころは「何でもいい」で済ませられた。安ければいい、使えればいい、人気があればいい。選ぶ手間を省くほど身軽に生きられる気がしていたし、実際それで困らなかった。
この本が示すのは逆の態度だ。「これがいい」と名指しできること。数あるマグの中で、なぜこの一つなのか、理由を自分の言葉で言えること。それは頑固さではない。自分が何を心地よいと感じるかを、はっきり知っているということだ。
僕が店先で立ち往生するのは、選択肢が多いからではない。自分の「これがいい」を持っていないからだ。松浦の103品は、その基準を一つずつ立てていった記録に見える。ものを選ぶとは、結局のところ自分を決めていく作業なのだと思い知らされる。
一つのものに、一つの物語
では、その基準はどこから来るのか。『日々の100』の続編刊行時のインタビューで、松浦さんはこう話している。「自分の身の回りにあるもので、物語とか思い入れがそこまであるものって、パッとは見つからないんです」。愛着は買った瞬間に備わっているものではない、というのだ。
続けて、「仕事をしたり、普段の生活を送るなかで、気づいていくことが多いですね」。物語は後からたまっていく。使い続けた時間の中で、そのものが自分にとって何なのかが分かってくる。この本の一編一編が短いのは、その時間の堆積を、削ぎ落とした一場面に凝縮しているからだと思う。
読みながら、僕は手放したものたちを思い出した。勢いで買って、物語のたまらなかったもの。愛着が育つ前に飽きたもの。選ぶとは、時間をかける相手を先に決めることでもある。
作るより、選ぶ
松浦さんは、自分をものづくりの人ではなく選ぶ人だと言う。同じインタビューで、「僕は作るよりは選ぶほうが好きですね」。理由がまた彼らしい。「あとは『作る』って時間かかるじゃないですか。僕、基本せっかちなんで、待ってられないんですよ」。
選ぶことを、創作より一段下に見る人は多い。でも100を超えるものを選び抜いて一冊にできる人は、そう多くない。選択には、作るのとは別種の目利きがいる。すでにあるものの海から、自分に必要な一つを引き当てる技術だ。
名品図鑑をやっていて、僕はこの感覚のすぐ近くにいる。ゼロから作れなくても、いいものを見つけて名指しすることはできる。『日々の100』は、その「選ぶ力」そのものを主役に据えた本だ。だから読後に残るのは物欲ではなく、自分の選び方を点検したくなる感覚のほうだった。
長く使う、ということ
選んだあとに何をするか。この本のもう一つの背骨は、長く使うことだ。アメリカの村で見つけたアンティークのキルト、古書店を開いたときに手に入れたイームズのスツール。登場するものの多くは、買ってから何年、何十年と付き合ってきたものだ。
新品のうちは、どれも同じような顔をしている。差がつくのは使い込んだあとだ。手入れをして、直して、それでも使う。時間をくぐらせたものだけが、代わりのきかない一つになる。安く速く買い替える暮らしとは、正反対の時計がここには流れている。
これは我慢の話ではない。入り口で「これがいい」を選び抜いておけば、長く使うことは苦行にならない、という話だ。最初の目利きが、その後の何十年の愛着を決める。ものを大事にできるかどうかは、実は買う前にほとんど決まっている。
「これでいい」ではなく「これがいい」を
『日々の100』は、名言集でも収納術でもない。ものを通して、自分が何者かを確かめる本だ。103のものが、そのまま103の問いになっている。お前は本当にこれが好きなのか、と。
次に店先で二つのマグの前に立ったら、値段を見る前に自分に聞いてみようと思う。どちらに物語をためたいか。「これでいい」で妥協するのか、「これがいい」を選ぶのか。その一回ずつの積み重ねが、たぶん暮らしの中身を少しずつ入れ替えていく。松浦の103品は、その最初の一回を後押ししてくれる。
次回はジェニファー・L・スコット『フランス人は10着しか服を持たない』。少ない持ちもので上質に暮らす——もの選びの美意識を、今度はクローゼットの側から考えます。

