高峰秀子『わたしの渡世日記』 銀幕の大女優が綴った飾らない半生

高峰秀子と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、『二十四の瞳』や『浮雲』のスクリーンの中の顔かもしれない。だが彼女の書いた文章を読むと、もうひとつの顔に出会う。5歳で銀幕に立ち、以来50年、出演作は300本を超えた大女優が、実は当代随一の書き手でもあったという事実だ。『わたしの渡世日記』は、その高峰秀子が自分自身の半生を、飾らない言葉で綴った一冊である。僕はこの本を読んで、映画女優という肩書きの裏にどれほど骨の折れる人生があったかを、初めて具体的に知った。

高峰秀子という人

高峰秀子は1924年、北海道函館に生まれた。4歳で実母を結核で亡くし、父の妹である志げの養女になる。志げに連れられて上京した5歳のとき、たまたま居合わせたオーディションで映画『母』への出演が決まった。この一本が浅草で45日間のロングランヒットとなり、彼女は子役として松竹蒲田撮影所に入ることになる。東海林太郎の家に身を寄せていた時期には、養母の志げが無給同然の女中のような扱いを受けていることに気づき、まだ子どもだった秀子が志げを促してその家を出たという話が伝わっている。子役の稼ぎは一家の生計を支える柱になり、彼女は勉強どころか休む間もなく撮影所に通う日々を送った。

1937年にP.C.L.(後の東宝)に移った際は、月給100円と引き換えに女学校への進学を約束されたが、その約束が果たされることはなかった。転機が訪れたのは1940年前後、共演した杉村春子の演技に衝撃を受け、それまで惰性で続けていた仕事に本気で向き合うようになったときだ。17歳の頃には、映画『馬』の製作にあたっていた若き黒澤明にほのかな恋心を抱いたが、養母の反対で実ることはなかった。1955年、木下惠介監督の紹介で知り合った脚本家の松山善三と結婚する。仲人は川口松太郎・三益愛子夫妻と木下惠介の3人が務め、木下自らが報道各社に連絡してゴシップ的な扱いを防いだという、当時としては異例の結婚会見だったという。

1979年、『衝動殺人 息子よ』への出演を最後に、高峰は女優を退く。会見で引退かと問われた彼女は「とっくに引退したつもりだったんですけどねえ」と答えたと伝わっている。5歳から数えて、ちょうど50年目のことだった。引退後は文筆業に軸足を移し、『巴里ひとりある記』や『わたしの渡世日記』などのエッセイで新しい評価を得ていく。人柄を伝える話も多い。共演していた子役時代の中村メイコに、その母親を通じて「小さい頃不細工な子ほど、大きくなると可愛らしくなるらしいよ」と失礼な発言をし、メイコが美しく成長した後にわざわざ「ママちゃん、スマン見込み違いだった」と謝りに行ったという逸話は、率直さと、失礼を失礼のままにしない誠実さの両方をよく表している。画家の梅原龍三郎とは40年にわたって親交を結び、谷崎潤一郎とは映画『細雪』の共演をきっかけに、谷崎が亡くなるまで家族ぐるみの付き合いが続いた。

『わたしの渡世日記』はどんな本か

『わたしの渡世日記』は、1975年から1976年にかけて「週刊朝日」に連載され、1976年に朝日新聞社から刊行された自伝的エッセイである。複雑な家庭環境、養母との確執、映画デビュー、そして黒澤明との淡い初恋まで、波乱に富んだ半生を、暗さに沈めることなくユーモアを交えて綴っている。この作品で高峰は第24回日本エッセイストクラブ賞を受賞した。現行版は文春文庫の上下巻で読むことができる。

下巻では、木下惠介や谷崎潤一郎との交流、夫・松山善三とのなれそめ、そして長く確執のあった養母との和解までが描かれ、一人の女性の人生がひとつの物語として閉じていく構成になっている。印象深いのは、恩師の一人である映画監督・山本嘉次郎から受けた教えを振り返る場面だ。役者という仕事にどこか斜に構えていた若い高峰に、山本は身近な匂いの話を引き合いに、俳優は普通の人以上に物事を感じ取らなければならないのだと説いたという。この一節から、彼女が仕事への向き合い方を根本から変えていった経緯が伝わってくる。関係者を実名で登場させながら、昭和という時代そのものを映し出す記録にもなっている点も、この本が単なる芸能回顧録に留まらない理由だろう。

高峰秀子『わたしの渡世日記』(文春文庫)
高峰秀子『わたしの渡世日記』(文春文庫) 書影
5歳で銀幕デビューし、50年にわたり主演を張り続けた大女優が、養母との確執も報われなかった初恋もそのまま綴った半生記。日本エッセイストクラブ賞受賞作。
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本から受け取ったもの

『わたしの渡世日記』を読んで一番心に残ったのは、5歳から働きづめだった人が、被害者めいた口調を一切とらずに自分の半生を語っていることだった。養母との確執も、報われなかった初恋も、そのまま突き放すように書かれていて、同情を誘おうとする気配がない。50年間カメラの前に立ち続けた人が、引退のときに未練を見せず、その後は文章という新しい仕事に淡々と移っていったことも含めて、高峰秀子という人には、境遇に流されず自分の生き方を自分で決めてきた強さがある。それは特別な才能というより、目の前のことに正直に向き合い続けた結果なのだと思う。この本は映画女優の自伝である以上に、ひとりの人間がどう自分の人生を引き受けたかの記録として読める。

次回は、幸田文の『台所帖』を取り上げる。父・幸田露伴から厳しく仕込まれた家事の作法と、台所という日常の場から立ち上がる文章を読んでいく。

本を選ぶ目と、道具を選ぶ目は、地続きです。
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