「私はその人を常に先生と呼んでいた」——この静かな一文から始まる物語は、日本でいちばん読まれた小説かもしれません。夏目漱石『こころ』。人を愛し、裏切り、罪を抱えて生きた一人の男の告白は、百年を超えて、私たちの心のいちばん奥をのぞき込みます。
夏目漱石という作家
夏目漱石は、一八六七年、江戸に生まれた小説家です。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』で人気を得たのち、『三四郎』『それから』『門』、そして『こころ』へと、近代を生きる日本人の内面を描き続けた、日本文学を代表する文豪です。
『こころ』は、一九一四年(大正三年)に発表された長編。「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部構成で、“先生”と呼ばれる謎めいた男の孤独と、その心の奥にしまわれた罪の告白を描きます。
どんな物語か
若い「私」は、鎌倉の海で出会った“先生”に惹かれ、通ううちに、その人が抱える深い孤独に気づいていきます。やがて先生は、長い遺書の中で、若き日にある親友を裏切り、死に追いやってしまった過去を告白する——。人間のエゴイズムと、それがもたらす罪の意識を、これほど静かに、そして鋭く描いた小説はありません。
精神的に向上心のないものは馬鹿だ
物語の核心にある、あまりにも有名な一言です。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
夏目漱石『こころ』(新潮文庫)
これは先生が若き日、親友Kに投げつけた言葉。けれど後に、その同じ言葉が、そっくり自分へ返ってきます。人を責める刃は、いつか自分に向く。他人に厳しくあろうとするとき、その基準は必ず自分にも跳ね返ってくる——そんな人間の真実を、鋭く突いた一節です。
現代人の、避けられない淋しさ
先生は、“私”にこう語ります。
「自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
夏目漱石『こころ』(新潮文庫)
自由に生き、自分らしくあろうとするほど、人は誰かと深くつながることが難しくなる。“個人”であることの代償としての孤独。つながっているようで、どこか淋しい——百年前に漱石が見抜いた「現代人の淋しさ」は、今のほうがむしろ切実に響きます。
恋は罪悪ですよ
そして、先生のもう一つの謎めいた言葉。
「恋は罪悪ですよ。解っていますか」
夏目漱石『こころ』(新潮文庫)
なぜ、恋が罪なのか。それは、誰かを強く求めることが、時に別の誰かを押しのけ、傷つけてしまうから。先生自身が、恋のために親友を裏切った過去を背負っています。美しいはずの感情の裏にある、人間のエゴを静かに見つめた言葉です。
自分の心の、いちばん奥を見る
『こころ』は、決して明るい物語ではありません。それでも読み終えたとき、私たちは自分自身の心の奥を、そっとのぞき込むことになります。人は誰しも、他人には言えないエゴや後ろめたさを抱えて生きている。それを、これほど誠実に言葉にしてくれた小説だからこそ、百年を超えて読み継がれているのだと思います。

次回の「目利きの本棚」も、ジャンルを問わず読み継がれてきた名著を紹介していきます。
本を選ぶ目と、道具を選ぶ目は、地続きです。
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