暮らしを、まっすぐ大切にした人——大橋鎭子『「暮しの手帖」とわたし』

前回この本棚に置いた花森安治には、ずっと隣にいた相棒がいました。『暮しの手帖』を一緒に立ち上げ、六十年にわたって経営を担った女性——初代社長の大橋鎭子(おおはし・しずこ)です。

花森が表紙を描き、誌面をつくる人だったとすれば、大橋は「その雑誌を世に出し、続けさせた」人でした。広告を一枚も載せない、無謀とも言える雑誌が三十年、四十年と続いたのは、この人が経営で支えたからです。今日はその大橋鎭子を、目利きの本棚に置きます。

目次

三姉妹の、長女として

大橋鎭子は一九二〇年、東京の生まれ。三人姉妹の長女でした。ところが十歳の頃、父・武雄を亡くします。まだ幼い喪主として、鎭子は父の枕元でこんな言葉を受け取ったと、後年書き残しています。

お父さんは、みんなが大きくなるまで、生きていたかった。でもそれがダメになってしまった。鎭子は一番大きいのだから、お母さんを助けて、晴子と芳子の面倒をみてあげなさい

大橋鎭子(父の言葉として。『しずこさん「暮しの手帖」を創った大橋鎭子』暮しの手帖社)

この一言が、鎭子のその後を決めました。母を助け、二人の妹を守る——「一番大きいのだから」という役目を、彼女は生涯背負い続けます。のちに雑誌をつくるという大きな仕事の根っこにあったのも、この家族への思いでした。

防空壕の中で、考えていたこと

鎭子は日本女子大を結核で中退したあと、日本読書新聞の編集部で出版の仕事を覚えます。空襲の続く日々、防空壕の中で、彼女はこんなことを考えていたといいます。

自分が見たい、知りたいと思うことを本にすれば、戦争で学校にも満足に行けなかった多くの女性たちに喜んでもらえるだろう

大橋鎭子(暮しの手帖社「会社案内」)

自分の母や妹のような、ふつうの女性たち。戦争で学校にも通えず、それでも毎日の暮らしを切り盛りしている人たち。その人たちが手に取って、少しでも暮らしが豊かになる本をつくりたい。戦後、鎭子はその思いを、もっとまっすぐな一言にしています。

女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい

大橋鎭子(暮しの手帖社)

儲けるためでも、有名になるためでもない。目の前の女性たちを幸せにしたい——雑誌の出発点が、これ以上ないほどはっきりしていました。

広告を載せない雑誌を、経営で支える

一九四六年、鎭子は花森安治と銀座に「衣裳研究所」を設立します。花森が編集長、鎭子が社長。二年後の一九四八年、『美しい暮しの手帖』——のちの『暮しの手帖』が生まれました。

この雑誌の名物になったのが、実名で製品を評価する「商品テスト」(一九五四年開始)です。それができたのは、三十年間いっさい広告を載せなかったから。ただ、広告を断るとは、収入の柱を一つ手放すということでもあります。花森が思う存分ペンをふるえたのは、その裏で鎭子が会社を成り立たせていたからでした。表紙を描く人と、会社を回す人。二人三脚で、この雑誌は続きました。

なにか面白いことはないかしら

鎭子は、朝出社すると社員によくこう声をかけたそうです。

なにか面白いことはないかしら?

大橋鎭子(口ぐせ。暮しの手帖社)

九十歳を過ぎても、ほとんど毎日会社に出ていた人でした。暮らしのなかの小さな発見を面白がり、それを誌面に変えていく。自分のことは、こんなふうに紹介しています。

ほがらか。人が大好き。/元気で活発なところは、お猿さんみたいね。

大橋鎭子(自己紹介。暮しの手帖社)

経営者としての厳しさよりも、この明るさとまっすぐな好奇心が、まわりの人と読者を惹きつけました。一九九四年には、戦後の一般の人々の暮らしを豊かにした功績で、東京都文化賞を受けています。

暮らしを、まっすぐ大切にした人

大橋鎭子がやったことは、つきつめれば一つです。名もない一人ひとりの暮らしを、まっすぐ大切にすること。派手な理論や主義ではなく、母や妹の顔を思い浮かべながら、その人たちが喜ぶ一冊を、六十年つくり続けました。

スマホでいくらでも情報が手に入る今も、大橋鎭子の生き方は古びていません。誰かの暮らしを豊かにしたい、そのまっすぐな一心が、時代を超えて雑誌を続けさせたのだと思います。いい雑誌を、いい人がつくった。まずはそれだけで、手に取る価値のある名前です。

次回の「目利きの本棚」は、随筆家・白洲正子の『かくれ里』を予定しています。日本の奥にひっそり残る美を、その足で訪ね歩いた名紀行を読みます。

大橋鎭子『「暮しの手帖」とわたし』(暮しの手帖社)

大橋鎭子『「暮しの手帖」とわたし』(暮しの手帖社) 書影

『暮しの手帖』を花森安治とともに創刊し、六十年にわたって社長として支えた大橋鎭子が、九十歳のときに自らの言葉でつづった自伝。家族への思いから雑誌づくりを志し、名もない人の暮らしを大切にし続けた一生が、当人の声で語られます。
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