「見覚えがあるのに、新しい」——あの感覚の正体
気に入って長く使っているものを思い浮かべると、不思議と共通点がある。ひと目で「変わってるね」と言われるほど奇抜ではない。かといって、どこにでもある量産品でもない。手に取った瞬間は「あ、こういうの前からあった気がする」と思うのに、よく見ると同じものはどこにも売っていない。この「見覚えがあるのに、新しい」という感覚に名前をくれたのが、デザイナー佐藤オオキの『問題解決ラボ』だった。
佐藤オオキは、デザインオフィスnendoを率いて、多いときは年間何百件ものプロジェクトを同時に走らせる、日本を代表するデザイナーだ。その人が、ものを生み出すときに何を狙っているのか。読んでいくと、それはそのまま「どんなものを選べば暮らしになじむのか」という、僕たち買う側の問いへの答えになっていた。
佐藤オオキという人
佐藤オオキは1977年、カナダのトロントに生まれた。早稲田大学の建築学科と大学院で建築を学び、修了と同時の2002年に、自分の事務所nendoを立ち上げる。名前の由来は「粘土(ねんど)」。粘土のようにやわらかく、いろんな形になれる集団でありたい、という願いがそこに込められている。
仕事の幅がとにかく広い。ルイ・ヴィトンやバカラのような海外の一流ブランドから、ロッテのお菓子、ローソンのプライベートブランドの商品パッケージ、旅行かばんのエース(Proteca)まで、依頼のジャンルを選ばない。東京2020オリンピックの聖火台も彼の仕事だ。有名なのが、三宅一生とつくった「キャベツチェア」。プリーツ加工した紙をぐるぐる巻いた筒に切り込みを入れ、一枚ずつめくっていくと、キャベツの葉のように椅子の形が現れる。捨てるはずだった端材から、座れる家具が立ち上がる。
面白いのは、これだけ世界で評価されながら、彼のつくるものが決して「奇抜」に振り切らないことだ。ローソンのパッケージも、遠目には普通の商品棚になじむ。でも一つずつ手に取ると、置き方や表示に小さな工夫が効いていて、選びやすい。派手さで振り向かせるのではなく、暮らしの中に自然に入り込む。その考え方の全部が、この一冊に書かれている。
『問題解決ラボ』は、どんな本か
『問題解決ラボ』は、佐藤オオキが自分の頭の中——ものを見て、問題を見つけ、アイデアを出し、形にするまでの道すじ——を、55の短い項目で書いた本だ。ダイヤモンド社から2015年に出た。デザインの専門書ではなく、コンビニやお菓子といった身近な例を入り口に、「そうか、そこが問題だったのか」という気づきの瞬間を一つずつ見せてくれる。
タイトルに「問題解決」とあるが、堅苦しい話ではない。彼にとってデザインとは、格好いい見た目をつくることではなく、「あったらいいな」を実際のかたちにして、目の前の困りごとをほどくことだ。だからこの本は、作り手の話に見えて、じつは「何が本当に必要で、何がそうでないか」を見分ける本でもある。ものを選んで暮らす僕たちが読むと、売り場での目のつけどころが変わる。
「見たことがあるようで、ない」ものが残る
誰かが見たことがあるものを作るわけでも、誰も見たことがないものを作る訳でもなく、誰もが見たことがあるようで誰も見たことがない物を作ろうとしている。
佐藤オオキ『問題解決ラボ』(ダイヤモンド社)よりこれはnendoのものづくりの、いちばん芯にある一文だ。ありふれたものを繰り返しても埋もれるだけ。かといって、誰も見たことがない奇抜なものは、驚かれはしても、暮らしにはなじまない。彼が狙うのはその真ん中——「見覚えがあるのに、同じものはどこにもない」という一点だ。
これはそのまま、もの選びの当たり外れを説明してくれる。買った直後は「すごい」と思っても数ヶ月で飽きるものは、たいてい奇抜さで振り向かせた側だ。逆に何年も手が伸び続けるものは、初めて見たのにどこか懐かしい。だから僕は選ぶとき、「これは驚きで選んでいないか、なじみで選んでいないか、その真ん中にあるか」を確かめる。長く残るのは、いつも真ん中にあるものだ。
「なぜか、なかった」ものに出会う
「誰も見たことがないもの」は、「誰も求めていないもの」と紙一重。理想は「本来はそこにあるはずなのに、なぜかない」ものを「補充する」くらいの感覚です。
佐藤オオキ『問題解決ラボ』(ダイヤモンド社)より前の一文を、選ぶ側の言葉に翻訳するとこうなる。世の中にない新しさは、裏を返せば「誰も欲しがっていなかった」だけかもしれない。本当に良いものは、発明というより「補充」に近い。あるべきなのに、なぜか今まで無かった。その空席を埋めるように、すっと入ってくる。
この視点を持つと、買い物の「当たり」の正体が見えてくる。手に取った瞬間に「これこれ、こういうのが欲しかった」と声が出るもの。新機能の多さに感心するのではなく、なぜ今まで無かったのかと不思議になるもの。それが、暮らしに長く居座る一品だ。だから僕は、機能表の長さより、「これは自分の暮らしの空席に、ぴったりはまるか」を先に問うようになった。
「カッコいいか」で選んでいないか
デザインを「見た目を良くすること」だと思っている人は多い。佐藤オオキはそこをはっきり否定する。形や色は目的ではなく手段で、その先に「何を伝えたいか」がある。伝えたいことのない格好よさは、ただの飾りだ、と。
買う側の僕たちも、まったく同じ間違いをする。「おしゃれだから」「映えるから」でものを選んで、家に置いてみると、暮らしに何も語りかけてこない。大事なのは、そのものが自分に何を渡してくれるかだ。朝の一杯をていねいにしてくれるのか、道具を持つ手つきを変えてくれるのか。見た目の良さは入り口でいい。ただ、その奥に「伝わってくるもの」があるかどうかで選ぶと、飾りは減って、相棒が増える。
「安心」と「新しさ」の境目を狙う
人は、あまりに見慣れないものには手を出さない。かといって、安心しきったものには心が動かない。佐藤オオキは、その「安心感の領域」のいちばん外側、ぎりぎり接するところに正解があると言う。安心の中に片足を残したまま、もう片足だけ未知に踏み出す。その一歩ぶんの新しさが、ちょうどいい。
これは目利きの感覚そのものだ。定番すぎると退屈で、攻めすぎると使いこなせない。長く付き合えるものは、たいてい「知っている形の、少し先」にある。見慣れた土鍋の、注ぎ口だけが賢いもの。いつものマグの、持ち手の角度だけが違うもの。選ぶとき、僕はこの「安心の、ぎりぎり外側」を探す。安心と新しさ、その境目に立っているものが、いちばん飽きずに使える。
選ぶ目が、少し変わる
この本を読んでから、売り場での問いが増えた。「奇抜さで振り向かされていないか」「なぜか無かった空席を埋めてくれるか」「見た目の奥に伝わるものがあるか」「安心の、ぎりぎり外側にあるか」。派手なほうへ伸びかけた手を、この四つで一度止める。全部を通ったものだけ、連れて帰る。
年間何百件ものプロジェクトで、佐藤オオキが世界を相手に磨いてきたのは、作る技術であると同時に、「何が本当に必要か」を見分ける目だ。その目は、デザイナーだけのものじゃない。ものを選んで暮らす僕たち全員が、少しだけ借りられる。次に何かを買うとき、彼の四つの問いを胸に置くだけで、判断はずいぶん揺るがなくなる。
次回の目利きの本棚は、無印良品のアートディレクションで知られる原研哉の『デザインのデザイン』を予定しています。「何もない」ことがいちばん豊かかもしれない——EMPTINESS(空っぽ)という、もう一つの日本のものの見方を読みます。


