「これでいい」を選べる目|原研哉『デザインのデザイン』が教える、もの選びの物差し

同じに見える二つを前に、僕は毎回そこで立ち止まる

家電量販店の売り場で、機能もほぼ同じ、値段も近い二つの製品を前に、僕はよく手が止まる。片方はスペック表の数字を全部盛りにして「これがすごい」と叫んでいる。もう片方はどこも尖っていないのに、なぜか手のひらに置いたときの座りがいい。決め手がスペックにないとき、人は何を見て選んでいるのか。この問いにまっすぐ答えてくれたのが、原研哉さんの『デザインのデザイン』だった。

この本はデザイナー向けの技術書ではない。むしろ、毎日ものを選んで暮らしている全員に向けて書かれている。原さんはデザインを「作る技術」の話に閉じ込めず、「見る目」「気づく力」の話として語り直す。だから読み終えると、売り場での自分の迷いが恥ずかしいものではなく、まっとうな審美の作業だったと分かる。

以下、僕がこの本から持ち帰った軸を、日々のもの選びの目線に翻訳しながら紹介していく。

原研哉という人——無印良品の看板を「作らずに」作った人

原研哉さんは1958年生まれのグラフィックデザイナーで、日本を代表するデザイン組織・日本デザインセンターの代表を務める。名前を知らなくても、その仕事は誰もが目にしている。無印良品のアートディレクターとして、あの余白だらけの広告を作ってきた張本人だからだ。地平線に一人立つポスター、商品名すら小さく引いたビジュアル——「もっと売り込め」という広告の常識に逆らったあの手法は、原さんの思想そのものだった。

面白いのは、原さんが派手な造形で名を上げたタイプではないことだ。愛知万博のプロモーション、長野オリンピックの開・閉会式プログラム、そして無印。どれも「原研哉らしい形」で覚えられているというより、「なぜか気持ちがいい佇まい」で記憶に残る。作家性を前に出さず、ものが本来収まるべき場所に収めていく。その禁欲が、逆に強い個性になっている。

つまり原さんは、無印良品というブランドの顔を、目立つロゴや奇抜な意匠で作ったのではない。「何も足さない」という選択そのものをブランドの主張に変えた。この「引く」判断ができる人が書いた本だから、もの選びの話としてそのまま使える。

『デザインのデザイン』とはどんな本か

2003年に岩波書店から出た本書は、デザイン論でありながら、実務の記録であり、文化論でもある。第26回サントリー学芸賞を受賞し、台湾・韓国・中国でも翻訳された、この分野の現代的な古典だ。表紙には、こう掲げられている。

「デザイン」と聞いて、いま貴方が想像したもの――それはデザインではない。これがデザインです。

原研哉『デザインのデザイン』(岩波書店・2003)本書のコピーより

挑発的だが、これは本気の宣言だ。内容は大きく二つに割れる。前半は「リ・デザイン」——歯ブラシやトイレットペーパーといった、もう完成しきったと思われている日常品をあえて作り直す展覧会の記録。後半は無印良品の仕事を軸に、「EMPTINESS(空)」というコミュニケーションの考え方が展開される。事例が具体的なので、抽象論に置いていかれることがない。

そして全体を貫くのが、「デザインとは新しいものを作り出すことだけではなく、既にあるものの中に価値を発見し直すことだ」という視点だ。この一点を掴むと、本書はもの選びの実用書として立ち上がってくる。

原研哉『デザインのデザイン』(岩波書店)
原研哉『デザインのデザイン』(岩波書店) 書影
無印良品のアートディレクターであり日本デザインセンター代表・原研哉が、「デザインとは作ることではなく、既にあるものに気づき直すことだ」という視点からデザインを語り直した現代の古典。「これでいい」「リ・デザイン」「空」といった概念は、そのまま日々のもの選びの物差しになる。
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「これでいい」——理性の満足を選ぶということ

無印良品を語るときに原さんが立てた対句が有名だ。目指すのは「これがいい」ではなく「これでいい」だという。「が」ではなく「で」。この一文字の差に、暮らしの成熟が全部詰まっている。「これがいい」は、他を退けてこれだけを欲しがる、熱を帯びた欲望だ。対して「これでいい」は、周りを見渡した上で、これで十分だと納得する理性の判断を指す。

ここで原さんが釘を刺すのは、「で」を諦めや妥協に落とさないことだ。安いから、無難だから「これでいい」のではない。素材も作りも吟味し尽くした上で、それでも声高に主張しない——そういう高い水準の「で」を作ることこそ狙いだと言う。妥協の「で」と、満ち足りた「で」は、まるで別物なのだ。

この基準は、そのまま僕らの買い物に持ち込める。過剰な機能や派手な意匠に「これがいい」と一目惚れした翌月、持て余していないか。長く使えているものを思い返すと、たいてい「これで十分だ」と納得して選んだものだ。売り場で高ぶったら、一度「が」を「で」に置き換えてみる。それだけで、余計な一台を家に入れずに済む。

リ・デザイン——見慣れたものを、初めて見る

本書前半の核が「リ・デザイン」だ。原さんは著名なデザイナーたちに、あえて完成しきった日用品——トイレットペーパー、出入国スタンプ、マッチ——の作り直しを依頼した。狙いは新奇な造形ではない。既に知っているはずの身の回りのものを、まるで初めて見るように捉え直し、その成り立ちに気づき直すことだった。原さんはこれを「日常を未知化する」と呼ぶ。

たとえば四角い芯のトイレットペーパー。回すたびに抵抗が生まれ、無意識に「節約して使おう」という気持ちが起きる。形をわずかに変えるだけで、行動と意識まで設計できる。ここで見えてくるのが、デザインは表面の飾りではなく、ものと人の関係そのものを扱う仕事だ、という原さんの立場だ。

この「未知化」は、買い替えの前にこそ使える。今使っている道具を、初めて手に取ったつもりで眺め直してみる。本当に不満なのか、新しさに煽られているだけなのか。既にあるものの価値に気づき直せば、買わない選択も立派なもの選びになる。所有を増やすことだけが豊かさではない、と本書は教えてくれる。

なにもないがすべてがある——空(エンプティネス)の器

後半で原さんが提示するのが「EMPTINESS(空)」という考え方だ。無印良品の広告が明快なメッセージを叫ぶのではなく、空っぽの器を差し出すようにふるまう——受け手がそこに自分の意味を盛りつけることで、初めてコミュニケーションが成立する、という設計思想である。何も言わないことが、最も多くを語る。本書第四章の題が、そのまま思想を言い当てている。

なにもないがすべてがある。

原研哉『デザインのデザイン』(岩波書店・2003)第四章/p.120 より

空の器は、器が貧しいという意味ではない。神社の白木の折敷や、茶室の何も置かない床の間のように、余白があるからこそ受け手の心が動く余地が生まれる。情報を足すほど強くなるという発想の逆を、原さんは日本の美意識の系譜から引き出してくる。

もの選びに移すと、これは「主張しない道具ほど、暮らしの主役を引き受けられる」という話になる。白い皿は、のせる料理を選ばない。無地の器は、季節でも来客でも表情を変えられる。自己主張の強い意匠は最初こそ楽しいが、暮らしの側の余白を奪っていく。空っぽであることは、可能性を空けておくことなのだ。

手で考える——情報を、触覚と佇まいで受け取る

原さんの関心は視覚だけにとどまらない。後の展覧会「HAPTIC」に繋がる触覚への着眼が、本書にも通底している。人は情報を目だけでなく、手触り、重み、温度でも受け取っている。原さんはこれを「情報の建築」という言葉でも捉え、五感に分散した手がかりを一つの体験として組み立てる仕事としてデザインを描く。

この視点は、売り場での僕の癖を肯定してくれた。冒頭で書いた「手のひらに置いたときの座りのよさ」は、気のせいではない。角の丸め、表面の仕上げ、持ったときの重心——スペック表に載らない情報を、手が正しく読んでいるのだ。数字で説明できないからといって、その感覚は非合理ではない。

だから、もの選びの最後の一歩は、できるだけ実物に触れることだと僕は思う。同じ機能なら、手が「これで十分だ」と納得する方を選ぶ。触覚は、広告のコピーよりずっと正直に、そのものの作りの良し悪しを教えてくれる。

作らずに気づく——目利きの土台としての一冊

『デザインのデザイン』を貫くのは、デザインとは新しい形を量産することではなく、既にあるものの中に価値を見出し直す営みだ、という一貫した態度だ。「これでいい」で欲望を鎮め、「リ・デザイン」で見慣れたものに気づき直し、「空」で余白を残し、「触覚」で佇まいを読む。どれも、作り手だけでなく選び手の作法として読み替えられる。

デザイナーでない僕がこの本を手放せないのは、それが結局「見る目を育てる本」だからだ。目利きとは、高価なものや珍しいものを言い当てる特殊技能ではない。日々のものに対して問いを立て、本質を掴もうとする感性と洞察の積み重ねにすぎない。原さんは、その土台を専門用語なしで手渡してくれる。

次に売り場で二つの製品の前に立ったら、僕はもう闇雲に迷わない。「が」か「で」か、余白を空けてくれるか、手が納得するか。この本がくれた物差しで測ればいい。もの選びに軸が一本通る、確かな一冊だ。

次回・目利きの本棚は、松浦弥太郎さん『日々の100』を予定しています。元「暮しの手帖」編集長が、自分の暮らしに残った100のものを一つずつ紹介する随筆。原さんの「これでいい」を、実際の持ちものリストで確かめるような一冊です。

本を選ぶ目と、道具を選ぶ目は、地続きです。
この続きは、こちらでも。

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