流行は追えるのに、長く使えるものは意外と少ない
セールで気分よく買った服が、一年着ないうちに何となく飽きている。流行はいくらでも追えるのに、何年も付き合える一着はなかなか手に入らない。クローゼットを開けるたび、そのことを思い知らされる。
『ミナを着て旅に出よう』は、その反対側に立つ本だ。著者の皆川明さんがつくる「ミナ ペルホネン」の服は、十年、二十年と着続ける人が珍しくない。なぜそんなものづくりが生まれたのか。その考え方の源をたどると、服だけでなく、日々のもの選び全体に生きてくる視点が見えてくる。
皆川明という人——魚市場のアルバイトから、ミナ ペルホネンへ
皆川明さんは1967年、東京の生まれだ。文化服装学院の夜間部で学び、1995年に「minä(ミナ)」を立ち上げる。のちに「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」と名を変えた。perhonen はフィンランド語で「蝶」の意味だという。
はじまりは地味だ。独立して間もない頃は、生計のために築地の魚市場でアルバイトをしながら、ブランドを続けていた。華やかなファッションの世界の裏で、朝の市場に立つ。その現実感が、地に足のついたものづくりの土台になったように思える。いまでは生地そのものからオリジナルで作り上げる、「特別な日常服」で知られる作り手だ。
『ミナを着て旅に出よう』はどんな本か
この本は、ミナ ペルホネンが生まれるまでの軌跡と、皆川さんのものづくりへの姿勢を綴ったエッセイだ。文春文庫版には、松浦弥太郎さんが序文を、辻村深月さんが解説を寄せている。それだけでも、この人がどんな層に信頼されているかが分かる。
語られるのは、派手な成功譚ではない。生地から自分たちで作るという遠回りのやり方、駅伝のチームワークにも似た独特の仕事の進め方。ものが生まれる前の、地道な段取りの話が多い。読み終えると、いいものというのは思いつきではなく、こういう積み重ねの先にできるのだと腑に落ちる。

「せめて100年続くブランド」という時間感覚
皆川さんが掲げる目標に、「せめて100年続くブランド」という言葉がある。自分が生きているうちに完成させる、という話ではない。あるインタビューでは、その理由をこう語っている。「自分の人生の先に頭の中が解決すればいいんじゃないか」。
自分の代では終わらない時間を見据えて、誰かに継ぎながら、少しずつ進める。ものを、それくらい長い時間の物差しで考えている人なのだと分かる。この感覚は、買い物にもそのまま当てはまる。三年で使い捨てる前提で選ぶのか、十年、二十年付き合う前提で選ぶのか。同じ一つを選ぶのでも、見えているものがまるで違ってくる。
短期に消耗されない価値
別のインタビューで、皆川さんは「短期に消耗されない価値を生み出したいんです」と話していた。流行は、まさに短期で消耗される価値の代表だ。今年かわいくても、来年には少し古びる。その速さに合わせて買い替え続けると、手元には愛着の育たないものばかりが残る。
長く使えるものは、その逆をいく。時間をかけるほど手に馴染み、直しながら使い、やがて代わりのきかない一つになる。名品図鑑をやっていて、僕が惹かれるのもこういうものだ。新しさで驚かせるのではなく、五年後、十年後にこそ良さが分かるもの。選ぶ基準を「消耗されにくいか」に置くと、買い物の失敗がぐっと減る。
生地から作る、という遠回り
ミナ ペルホネンの特徴は、既製の生地を選んで服にするのではなく、生地の柄そのものから作るところにある。図案を描き、織りや染めから起こす。手間も時間も、何倍もかかるやり方だ。それでも根っこから作るのは、表面だけ整えても長くは持たないと知っているからだろう。
選ぶ側にも、同じ見方が使える。ブランド名や見た目の印象だけでなく、それが何から、どんな考えで作られているか。根っこの部分に納得できるものは、たいてい長く付き合える。もの選びは、表面の好き嫌いだけでなく、作り手の姿勢を選ぶことでもあるのだと、この本は教えてくれる。
長く付き合えるものを、選ぶ
『ミナを着て旅に出よう』は、ファッションの本のようでいて、その実、時間との付き合い方の本だ。すぐに消耗するものに囲まれるのか、長く連れ添えるものを少しずつ選ぶのか。その選択の積み重ねが、暮らしの質を決めていく。
次に何かを買おうとしたとき、「十年後も使っているだろうか」と一度だけ自分に聞いてみようと思う。その問いを通ったものは、たぶん値段以上に長く働いてくれる。皆川さんの服がそうであるように、いいものは、時間が経つほど自分のものになっていく。
次回は三谷龍二『木の匙』。木の器やカトラリーを手がける作り手が綴る、日々の道具と暮らしの手ざわりについて考えます。

