一杯のお茶を飲む。ただそれだけの、暮らしのなかのささやかな行為に、実は深い美意識が宿っている——。百年以上前、岡倉天心はそのことを一冊の本に書き、世界に向けて発信しました。『茶の本』。もともとは英語で書かれ、東洋の美と心を西洋に伝えた、静かで力強い名著です。
岡倉天心という人物
岡倉天心(岡倉覚三)は、一八六三年に生まれた思想家・美術指導者です。東京美術学校(今の東京藝術大学)の初代校長を務め、日本美術院を創立するなど、近代日本の美術の礎を築きました。
『茶の本』は、一九〇六年、天心がニューヨークで英語で出版した”The Book of Tea”が原著です。日本が急速に西洋化していく時代に、天心は「茶の湯」という日常の作法を手がかりに、東洋がずっと大切にしてきた美意識と精神を、世界に向けて堂々と語りました。ここで読むのは、名訳として知られる村岡博訳(岩波文庫)です。
どんな本か
お茶の歴史、道教と禅とのつながり、茶室、花、そして茶の宗匠たち——。『茶の本』は、お茶をめぐるさまざまな話を通して、一貫して「日常のなかにある美」を語り続けます。難しい美術論ではありません。暮らしの小さな所作にこそ美は宿る、という一冊です。
茶道とは、日常の美を崇拝すること
天心は、茶道をこう定義します。
茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである。
岡倉覚三『茶の本』村岡博訳(岩波文庫)
特別な芸術作品でも、遠い美術館のなかでもない。日々の「俗事」——お茶を淹れ、器を選び、人をもてなす、その一つひとつのなかに美を見いだす。茶道とは、暮らしそのものを美しく整えようとする心の作法なのだと、天心は言います。
不完全なものを、美しいと思う
そして、『茶の本』でもっとも有名な一節が、これです。
茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。
岡倉覚三『茶の本』村岡博訳(岩波文庫)
完璧に整ったものより、少し欠けたもの、ふぞろいなものにこそ美を感じる。左右非対称の茶碗、使い込まれた道具、余白のある空間——。日本人が古くから育ててきた「わび・さび」の美意識を、天心はこの短い一行に凝縮しました。完璧でないことは、欠点ではなく、味わいなのだと。
美しくあろうとすること
茶道の背景にある道教や禅の考えに触れながら、天心はこうも書いています。
彼らは、人間は生来簡素を愛するものであると強調して、人情の美しさを示してくれた。
岡倉覚三『茶の本』村岡博訳(岩波文庫)
人はもともと、飾り立てたものより、簡素で素直なものに心を惹かれる。ものを増やし、足していくことではなく、削ぎ落とし、整えることのなかに美しさがある。百年以上前の言葉が、ものにあふれた今の暮らしにこそ、静かに響いてきます。
一杯のお茶に宿る美意識
『茶の本』が教えてくれるのは、美とは遠いどこかにあるものではなく、毎日の暮らしのなかに、自分の手で見いだしていくものだということ。お茶を一杯淹れる。器をひとつ選ぶ。部屋をひとつ整える。その小さな所作のなかに、豊かさは静かに宿っています。慌ただしい日々のなかで、暮らしの手ざわりを取り戻したくなったとき、そっと開きたい一冊です。

次回の「目利きの本棚」も、ジャンルを問わず読み継がれてきた名著を紹介していきます。
本を選ぶ目と、道具を選ぶ目は、地続きです。
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