いいものを選ぼうとするとき、僕たちはつい、ブランドや値段、作った人の名前を先に見てしまいます。有名だから、高いから、あの作家のものだから——。でも、その物差しだけで選んだものは、なぜか長く手元に残らないことがあります。
では、名前でも値段でもなく、何を見て選べばいいのか。その問いに、百年近く前に真正面から答えた人がいます。柳宗悦(やなぎ・むねよし)と、その主著『民藝とは何か』。名もなき職人がつくった日用の器に、美の本道を見た一冊です。もの選びの目の、原点にあたる本として、目利きの本棚、二十六冊目に置きます。
柳宗悦という人
柳宗悦(一八八九〜一九六一)は、宗教哲学者であり、美術の研究家でした。そして何より、「民藝(みんげい)運動」を起こした人として知られています。名前は「そうえつ」と読まれることもありますが、正しくは「むねよし」です。
ひとつ、混同されやすいことを先に。プロダクトデザイナーの柳宗理(やなぎ・そうり)——バタフライスツールで有名なあの人は、宗悦の長男です。父が「日用の美」を思想として説き、息子がそれを工業デザインの現場で形にした。親子二代でものの美を追ったと考えると、宗悦という人が見えやすくなります。
宗悦が民衆の道具の美に目を開かれたのは、木喰仏(もくじきぶつ)という、無名の僧が彫った素朴な民間の仏像を調べた旅がきっかけでした。そして一九二五年の暮れ、陶芸家の濱田庄司、河井寬次郎とともに、「民衆的工藝」を略して「民藝」という言葉を新しく作ります。名もなき人がつくった日々の道具にこそ美がある——この確信を、一九三六年に開いた日本民藝館(初代館長は宗悦)に結晶させました。英国の陶芸家バーナード・リーチとは、生涯の友でした。
『民藝とは何か』は、どんな本か
『民藝とは何か』(講談社学術文庫)は、宗悦の代表的な論考を集めた一冊です。表題作のほか「美の国と民藝」「民藝の性質」などを収め、民藝の思想を知るための、いちばんの入り口になっています。むずかしい美学書ではありません。宗悦が繰り返し語るのは、拍子抜けするほどまっすぐな一行です。
民藝とは民衆が日々用いる工藝品との義です。
柳宗悦『民藝とは何か』(講談社学術文庫)
特別な美術品ではなく、名もない人が日々使うために作った、ふつうの道具。それが民藝です。この本は一貫して、その「ふつうの道具」がなぜ美しいのかを説いていきます。
名もなき手が、美をつくる
宗悦がまず注目したのは、作り手が「無名」であることでした。
作者は無名の職人であり、作物にも別に銘はありません。
柳宗悦『民藝とは何か』(講談社学術文庫)
銘(めい)とは、作者のサインのことです。民藝の道具には、それがない。誰が作ったかもわからない職人が、売り物として、来る日も来る日も同じ器を作る。宗悦は、その名もなき反復の中からこそ、健やかな美が生まれると考えました。飾るために作られたものより、働くために作られたもののほうが美しい、と。
身を飾るものよりも、働くものの方が常に健康なのです。
柳宗悦『民藝とは何か』(講談社学術文庫)
これは、いまのもの選びにそのまま当てはまる視点です。僕たちは「誰がデザインしたか」「どこのブランドか」をつい先に見ます。でも宗悦に言わせれば、大事なのは名前ではなく、その道具が毎日の仕事にどれだけ正直に応えているか。作者の署名より、使われ続けてきたという事実のほうを信じる。目利きの土台に置きたい一行です。
使うほど、美しい
宗悦の思想は、のちに「用の美」という言葉でまとめられます。ただ、これは知っておくと面白いのですが、「用の美」という四文字は、じつは宗悦自身が書いた言葉ではありません。後世の人が要約したキャッチフレーズです。宗悦本人は、もっと具体的に、こう言い切っています。
美しさのために作った器よりも、用のために作った器の方がさらに美しいと。
柳宗悦『民藝とは何か』(講談社学術文庫)
美しく見せようと狙って作った器より、ただ使うために作った器のほうが、かえって美しい。逆説のようですが、道具を選んだ経験のある人なら、どこかで頷けるはずです。「おしゃれに見せよう」として飾りをつけた道具より、用途だけを突き詰めた道具のほうが、結局ずっと格好いい。宗悦はこれを「用美相即(ようびそうそく)」——用と美は切り離せない、とも言いました。
だから民藝の目で道具を選ぶと、判断の基準がひとつに絞られます。それは、実際に使う場面で気持ちよく働いてくれるか。見た目の装飾でも、話題性でもなく、手に取り、使い続ける中で立ちあがってくる美しさ。その一点で選べば、大きく外しません。
名前で選ぶな、と宗悦は言う
この本には、もの選びについて、これ以上ないほど直接的な一節があります。宗悦は、名のある品ばかりをありがたがる風潮を、はっきり戒めました。
今の人々はこぞって在銘のものを愛します。だがそれは「銘」を愛し、「人」を愛し、「極め」を愛しているのであって、美そのものを見つめているのではないのです。
柳宗悦『民藝とは何か』(講談社学術文庫)
在銘(ざいめい)とは、作者の名が入っていること。「極め」とは、専門家のお墨付きのことです。ブランド、作家名、鑑定書——僕たちが安心のよりどころにするものを、宗悦はことごとく「美そのものではない」と切り捨てます。名前を見て「いい」と思うのは、美を見ているのではなく、名前を見ているだけだ、と。耳が痛い人は、僕を含めて多いはずです。そして宗悦は、こうまで言い切ります。
読者よ、もしここに在銘の作と無銘の作とがあったら、躊躇なく後者を選ばれよ。……在銘の作はいつか飽きてきます。これに引きかえて無銘のものは、生涯貴方の友達となるでしょう。
柳宗悦『民藝とは何か』(講談社学術文庫)
名のある品はいつか飽きる。名もなき品は、一生の友になる。ものを長く使ってきた人ほど、この言葉の重みがわかると思います。買った瞬間がいちばん嬉しくて、あとは冷めていくものと、暮らしの中でだんだん手になじんでいくもの。その差は、名前や値段では説明できません。
暮らしの中に、美を置く
宗悦の民藝は、美術館のガラスケースの中の話ではありません。むしろ逆で、彼が一番大切にしたのは、特別な日ではなく、なんでもない毎日のほうでした。
特別な時に美を求めるより、平常の生活に美を即せしめることが何より大切です。
柳宗悦「美の国と民藝」(『民藝とは何か』所収)
たまの贅沢で美しいものに触れるより、毎日使う道具そのものを美しくすること。それが何より大切だ、と宗悦は言います。これは、この連載がずっと言ってきたことと、そっくり重なります。名前や値段で決めず、実際に使う中の美しさで選ぶ。飾るためでなく、働くもののほうを信じる。そして、暮らしそのものを一段いいものにする。
『民藝とは何か』は、九十年前の本です。でも、書いてあることは古びていません。むしろ、名前と評判と価格の情報にいちばん振り回されている僕たちのほうが、読む必要があるのかもしれません。ものを見る目を、名前の外側に取り戻すための一冊です。
次回の「目利きの本棚」は、柳宗悦の長男で、プロダクトデザイナーの柳宗理を予定しています。父が見出した民藝の心を、工業デザインの現場でどう受け継いだのか。バタフライスツールの生みの親の仕事を読みます。

本を選ぶ目と、道具を選ぶ目は、地続きです。
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