自分の目で見て、足で歩く——白洲正子『かくれ里』

骨董でも器でも、白洲正子はいつも「自分の目」で見た人でした。前にこの本棚に置いた『器つれづれ』が“手にとるものを見る目”の本だとすれば、今日の一冊は、その目が“日本の隠れた美”へ向かった記録です。『かくれ里』——還暦を迎えた白洲正子が、各地の忘れられた村里を、自分の足で訪ね歩いた紀行随筆です。

一九七一年に刊行され、翌年、読売文学賞を受けています。白洲正子を、この本棚にもう一冊、置きます。

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韋駄天お正

白洲正子は一九一〇年、樺山伯爵家の生まれ。四歳で能を習いはじめ、十四歳のときには、女性として初めて能の舞台に立ちました。二十歳を前に実業家・白洲次郎と結婚し、戦後は小林秀雄や青山二郎といった目のきく人たちと交わりながら、骨董と古典への理解を深めていきます。

そんな彼女には、あるあだ名がありました。「韋駄天お正」。書くときはいつも、自分の目で見て、自分の足で歩いて確かめる——じっとしていないその姿勢から付いた名前です。『かくれ里』は、まさにその足で書かれた一冊でした。

忘れられた村里を、訪ねて

『かくれ里』が訪ねるのは、有名な観光地ではありません。近江、大和、伊賀、越前、美濃——ガイドブックには載らない、忘れられかけた社寺や、古い面、道ばたの石仏です。もとは雑誌『芸術新潮』に二年ほど連載された文章がもとになっています。

たとえば近江の教林坊という小さな寺を訪ねて、白洲正子はこう書いています。

かつては観音正寺の末寺が三十以上もあり、繁栄を極めたというが、現在は教林坊というささやかな寺が一つ残っているだけである

白洲正子『かくれ里』「石の寺」より

かつて栄えたものが、今はひっそりと一つだけ残っている。そういう“忘れられたもの”にこそ、彼女の目は吸い寄せられました。名の通ったものではなく、見捨てられかけた美を掘り起こす——それが『かくれ里』の芯です。

足で歩いて、確かめる

白洲正子の目のすごさは、「古くて風情がある」で終わらないところにあります。同じ教林坊の石庭を前にして、彼女はその成り立ちまで読み解いてしまう。

その石室の巨大な蓋石を、そのまま庭石に使ってあるのだが、不自然でなく、日本の造園の生い立ちといったようなものを見せられたような感じがする

白洲正子『かくれ里』「石の寺」より

古墳の石を、そのまま庭石に使っている。しかも無理がなく、そこに日本の庭の生い立ちが見える——ただ眺めるのではなく、目の前のものが“どうやってできたか”まで見抜く。骨董で鍛えた目が、そのまま風景に向いています。教養をひけらかすのではなく、自分の足で立って、自分の目で確かめる。だからこの本の美には、借りものでない手ざわりがあります。

美を、自分の目で

白洲正子が『かくれ里』でやったことは、つきつめれば一つです。誰かが「いい」と言ったからでなく、自分の目で見て、いいと思ったものを、自分の足で確かめにいく。有名かどうか、値がつくかどうかではなく、自分が美しいと感じるかどうか。それだけを頼りに、日本の隠れた美を歩き続けました。

スマホで名所も名品もいくらでも出てくる今、この姿勢はかえって新しく見えます。人の評価をなぞるのでなく、自分の目で確かめにいく。『かくれ里』は、そのお手本のような一冊です。いい本を、たしかな目の人が書いた。読めば、どこかへ出かけて、自分の目で何かを見たくなります。

次回の「目利きの本棚」は、須賀敦子『ミラノ 霧の風景』を予定しています。異国の街と人を、端正な文章で描いた名エッセイを読みます。

白洲正子『かくれ里』(講談社文芸文庫)

白洲正子『かくれ里』(講談社文芸文庫) 書影

還暦を迎えた白洲正子が、近江・大和・越前など各地の忘れられた村里を自分の足で訪ね歩いた紀行随筆。読売文学賞を受けた名著で、能・骨董・古典に通じた著者が、見捨てられかけた日本の美を掘り起こします。
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