イタリアで暮らした遠い日々を、抑えた筆で、けれど鮮やかに書いた人がいます。須賀敦子(すが・あつこ)。一九九〇年、六十一歳ではじめて世に出したこの『ミラノ 霧の風景』で、いきなり女流文学賞と講談社エッセイ賞をダブル受賞した、遅咲きの作家です。
人、町、文学とのふれあいと、言葉にならないため息を綴った追憶のエッセイ。今日はその須賀敦子を、この本棚に置きます。
六十一歳の、デビュー
須賀敦子は一九二九年の生まれ。聖心女子大を出たあと、一九五〇年代にヨーロッパへ渡り、パリを経てイタリアに落ち着きます。ミラノの「コルシア書店」——カトリックの知識人たちが集う、教会のなかの小さな書店に関わり、そこで出会ったジュゼッペと結婚しました。
けれど幸せは長く続かず、結婚から数年で夫を病で亡くします。深い喪失を抱えて一九七一年に帰国し、大学でイタリア文学を教えながら、日本文学の翻訳に打ち込みました。イタリアの日々を書きはじめたのは、五十代の後半。そうして六十一歳で出したのが、この一冊です。“遅い”ことは、この人にとって欠点ではありませんでした。時間をかけて熟成した記憶だからこそ、これだけの深さが出せたのだと思います。
霧の匂いから、亡き人へ
巻頭に置かれた「遠い霧の匂い」は、こんなふうに始まります。東京でごくまれに霧が出た夜、その匂いに「これは知っている」と気づく。十年以上を過ごしたミラノで、いちばん懐かしいものは何かと問われたら、迷わず「霧」と答えるだろう——と。
そして話は、霧を愛したミラノ生まれの夫の思い出へ、霧の中の遠出へ、先に逝ってしまった友人たちの記憶へと、境目なく流れていきます。ポレンタの匂い、菩提樹の花の香り。細部を丁寧に書くことで、失われた時間が、読む者の前にありありと立ち上がる。これが須賀敦子の文章の力です。
足に合った靴さえあれば
須賀敦子は、翻訳という仕事を長くしてきた人でもあります。他人の言葉を、別の言葉へ移し替える。その慎重さと誠実さが、自分の文章にもそのまま出ています。のちに書いた随筆『ユルスナールの靴』の冒頭に、彼女はこんな一節を残しました。
きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。
須賀敦子『ユルスナールの靴』(白水社)より自分にぴたりと合うもの——靴でも、言葉でも、生き方でも——を探し求めて、けれど完璧には出会えないまま歩き続ける。その正直さが、胸を打ちます。人生を、達観でも諦めでもなく、こう書ける人はそういません。
遠回りした人の、深さ
須賀敦子が作家として活動したのは、亡くなるまでの十年に満たない、短い時間でした。それでも残した数冊は、今も読み継がれています。若くして書き飛ばした量ではなく、長い遠回りの果てに、じっくり選んだ言葉で書いたからです。
何かを始めるのに遅すぎることはない、と口で言うのは簡単です。でも須賀敦子は、六十一歳のデビューでそれを証明してしまった。異国での暮らしも、愛する人を失った悲しみも、すべてを言葉に変えた一冊です。いい本を、遠回りした人が書いた。読めば、自分のなかに眠っている記憶も、少し書き留めておきたくなります。
次回の「目利きの本棚」は、池波正太郎『男の作法』を予定しています。食べること、装うこと、暮らすこと——粋な大人の流儀を読みます。


