値段でも、星の数でもなく、何を頼りにものを選べばいいのか。迷ったときに、いつも戻ってくる一冊があります。随筆家・白洲正子の『器つれづれ』。器という日常の道具を通して”ものとの付き合い方”を書いたこの本は、情報に溺れがちな今こそ、静かに効きます。
白洲正子という人
白洲正子は明治の終わりに生まれ、幼い頃から能舞台に立った稀有な人でした。生涯を通じて着物と骨董を愛し、小林秀雄や青山二郎といった当代きっての目利きたちと交わりながら、”ほんとうに良いもの”を見分ける目を鍛え続けます。晩年は東京・鶴川の茅葺きの家〈武相荘〉で、古い道具に囲まれて暮らしました。
彼女の文章の魅力は、知識をひけらかさないところにあります。難しい骨董論ではなく、「毎日どう使い、どう付き合うか」という生活の目線で、ものの美しさを語る。だから読むと、専門家でなくても自分の暮らしに引き寄せて考えられます。
『器つれづれ』は、どんな本か
『器つれづれ』は、白洲正子が愛用した器や道具をめぐる随筆集です。名だたる骨董の名品から、欠けた湯呑み、道端で拾ったような品まで、分け隔てなく登場する。共通するのは、どれも「しまい込まず、毎日使っている」ということ。彼女にとって器は鑑賞の対象ではなく、暮らしの相棒でした。
値段ではなく、「好き」で選ぶ
「値段のことなんか考えていたら、物とはつき合えない。ただ、好きだから買う、それだけのことで――」
白洲正子『器つれづれ』(世界文化社)
いくらか、お得か、人気か。情報を集めるほど、”自分がどう感じたか”は後ろに追いやられます。けれど値段や口コミで決めた買い物は、なぜか長続きしない。手元に残って毎日を機嫌よくしてくれるのは、結局「好きだから」で選んだものだけです。
しまい込まず、日々使う——「用の美」
「どんなに上等なものでも、しまっておいたら必ず顔色が悪くなる。つまり、死物と化すのである。私は毎日そばにおいて荒っぽく使っている。時には瑕がついたり、はげたりするが、道具はそこまでつき合わないと、自分の物にはなってくれない。」
白洲正子『器つれづれ』(世界文化社)「私と道具」
良いものほど、つい「もったいなくて」しまい込んでしまう。でも白洲正子は逆でした。上等なものほど毎日そばに置き、荒っぽく使う。瑕がつき、その痕跡ごと引き受けてはじめて、ものは”自分の物”になる。使うことをためらわせない——それこそが、ほんとうに良い道具の条件なのかもしれません。
完璧すぎない美しさ
「ものは程々に投げやりなのが美しい」
『白洲正子のおしゃれ 心を磨く88の言葉』(新潮社)
きちんと整えすぎると、暮らしはどこか窮屈になります。少し力の抜けたところに、ものはいちばん映える。完璧を目指さない選び方は、器に限らず、部屋づくりにも装いにも通じます。
読むと、選ぶ手が変わる
流れてくる一行の名言も、いいものです。けれどその言葉が生まれた一冊を通して読むと、点だった気づきが線になり、もの選びの”軸”そのものが整っていきます。「これは、しまい込まずに毎日使えるか」「値段ではなく、好きで選べているか」。白洲正子の目を借りるだけで、判断が驚くほど静かになります。

次回の「目利きの本棚」は〈幸田文『台所帖』〉を予定しています。台所という一番身近な場所から、暮らしの所作を見つめ直す一冊です。

