「恥の多い生涯を送って来ました」——この一文から始まる小説を、名前だけは知っている、という人も多いはずです。太宰治『人間失格』。人間の弱さと孤独を、これほど正直に、そして美しく書いた本は、そうありません。
太宰治という作家
太宰治は、一九〇九年、青森の大地主の家に生まれました。『走れメロス』『斜陽』など、今なお読み継がれる作品を数多く残し、その一方で、生涯に何度も死を選ぼうとした人でもあります。華やかな才能と、救いようのない弱さ。その両方をむき出しにして書き続けたのが、太宰という作家でした。
『人間失格』は、一九四八年、太宰が三十九歳でこの世を去る、まさにその年に発表された、最後の完成作です。主人公・大庭葉蔵の「三つの手記」という形をとりながら、ひとりの人間が“人間失格”に至るまでを描いた、遺書のような一冊です。
どんな物語か
人におびえ、道化を演じ、やがて酒と薬に溺れていく——葉蔵の半生は、決して明るいものではありません。それでも読む手が止まらないのは、彼の弱さやずるさが、どこか自分の奥にあるものと、静かに重なるからです。目をそむけたくなるのに、なぜか慰められる。そんな不思議な力を持った物語です。
恥の多い生涯を送って来ました
物語は、あまりにも有名な、この一文から始まります。
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
太宰治『人間失格』(新潮文庫)
たった一行で、この小説の世界に引きずり込まれます。「恥ずかしい」という感情を、これほど深く抱えて生きた人がいた。そして、その告白が、百年近くも読み継がれている。うまく生きられない、という感覚は、決して自分ひとりのものではないのだと、そっと教えてくれる書き出しです。
世間というのは、君じゃないか
周囲から「世間が許さない」と諭される場面で、葉蔵は、あることに気づきます。
「世間というのは、君じゃないか」
太宰治『人間失格』(新潮文庫)
「世間が許さない」「世間体が悪い」——私たちも、よく“世間”を持ち出します。けれど、その世間とは、一体どこにいるのでしょう。葉蔵は気づきます。世間などという実体はなく、結局は、目の前の“ひとりの人間”のことなのだと。漠然とした大きな圧力に見えるものの正体を、鋭く突いた一言です。
弱虫は、幸福をさえおそれる
そしてもう一つ、太宰の弱さがそのまま言葉になった、忘れがたい一節があります。
「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです」
太宰治『人間失格』(新潮文庫)
幸福を前にして、素直に喜べない。壊れるのが怖くて、手に入れることをためらう。弱いからこそ、しあわせにさえ傷ついてしまう。強がりでも、自虐でもなく、ただ正直にそう書ける太宰の筆に、胸を掴まれます。同じ弱さを知る人ほど、深く沁みる言葉です。
弱さを見つめることの、静かな救い
『人間失格』は、暗い小説だと言われます。たしかに、わかりやすい救いのある物語ではありません。それでも読み終えたあとに残るのは、絶望よりも、どこか奇妙な安心感です。自分の弱さやずるさを、ここまで正直に言葉にしてくれた人がいる——誰にも言えない部分を、そっと肩代わりしてくれるような一冊です。強くなれない夜に、静かに寄り添ってくれます。

次回の「目利きの本棚」も、ジャンルを問わず読み継がれてきた名著を紹介していきます。
本を選ぶ目と、道具を選ぶ目は、地続きです。
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